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ホームからの報告 ~新しい時代を生きる~ (東寿園ブログ)

広島原爆の日に

2024-08-16
★ケアハウス発★
『広島原爆の日に』

被爆79年の今年、当時を語れる方は少なくなっていると聞きます。
ケアハウスで聴いたお話の一部を紹介します。

▪私はね、三原から汽車へ乗って帰っていたんですけど、福山の駅で降りれなかったから、通り過ぎて岡山県の井原いう所から山を登って歩いて帰っておったんです。だいぶ山の上の方へ登った頃に空がピカッとしたんです。「今のは何?」いう感じではあったんですけど、その時は何もわかりません。それから家へ帰りついて、丸2日は何もわからず寝込んだらしいです。後から広島へ原爆が落ちたと聞いて、あの時に山の上で見た光がそれと分かったんです。
▪ほんまに光ったんですね。私は母親が草刈りをしとったら空が今までに見たことがないように光った言うのを話して聞かせてくれました。やっぱりそれが原爆が落ちた光じゃったんじゃなぁ。
小学3年の頃に、兵隊に行く父親をみんなで見送ってくれちゃったんじゃけど、私はずっと泣くばっかりして下を向いてその時のお父さんの顔をよう見んかったんです。その頃を思うたら今でも涙が出る。そんな話をしたら孫らは「おばあちゃんなんで泣くん?」言いようります。お父さんがいないから、お母さんが草刈りやなんかみなして、だから自分のと弟のと草履を私が作るんじゃけど、3年生の子どもがするんじゃから毎日長い距離を歩くのに履いたら1日でボロボロ。だから毎晩作っとったんで。そんなことを思うて、今それぐらいの年のひ孫を目の前にしたら我ながらこまい(小さい)のにようしようたなぁ思うようなです。
▪いとこが広島で働いていたので次の日に探しに行ったようですが亡くなっていたと聞きました。お世話になってずっと文通をしていた先生も広島へおられたようでたぶん亡くなられたんだろうと思います。庄原からこちらへ走るバスでも原爆に遭われて怪我をしたような人が重なるようにしてバスへ乗られていました。それで元気な私らはバスへ乗らずに歩いて帰ったんです。
▪当時のことは何もわかりませんが、知り合いからちょうど原爆の日に被爆後の焼け野原の写真を見せてもろうたんです。もうそれを見ただけで涙が出ました。

広島県に生まれ育ち、子どもの頃には毎年平和学習もしてきた筆者ですが、広島市から遠く離れた県東部、県境でもその光を見られたという体験談に驚きました。七夕の願いに『世界平和』と書かれた方もおられましたが、当時を振り返った話をしたり聴いたりしながら、さらに強く平和を願うばかりです。
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